前提情報を共有していない子供が飛び込んできたとします。すると「場の空気」を使っていた子供たちは、その「異分子」とは簡単にコミュニケーションはできません。
まず面倒だということがあり、更には内容がそもそも口に出して語るのは「マズイ」ものが多いからです。そこで子供たちは「こうした困惑状態を作り出したのは、自分たちではなく異分子の方だ」という方便を思いつきます。そこで「空気読めよ」という強制がされる、これが「いじめ」の発火点になります。
ですが、「空気が読めない奴」とか「新参者で過去の経緯を一々説明しなくてはならないウザい奴」というだけでは、子供はそれほど攻撃的にはなりません。
問題は「空気」を形成している子供たちとは、「異分子」が異なる価値観や異なるセンスを持っている場合です。
特に問題になるのは、「異分子」の方が「空気」のグループに比べてより「上位」とみなされる価値観やスタイルを持っている場合です。正義感が残っていて犯罪行為に嫌悪感を示すとか、あるいは服装が洗練されているとか、帰国子女で流暢な英語を話すというような場合です。そうすると、子供たちは「偉そうだ」とか、「自分だけ格好をつけている」と言って敵意を燃やすことになります。つまり、「上から目線」だというわけです。
この「上から目線」というのは、客観的に見れば価値観が相違してお互いに共通の地盤に立てない同士の葛藤なのですが、本人たちからするとそれは強烈な被害者意識になるのです。「空気も読めない異分子」のくせに「ええカッコしやがって」というのは、悪ガキの捨てゼリフに聞こえますが、本人たちは大真面目なのです。つまり「俺達の方が強者であり多数派なのに、異分子のアイツは俺達のメンツを潰した」というロジックで、自分たちを被害者に見立てているのです。
この「上から目線で見下された」という勝手な被害者意識が、本格的に「いじめ」の炎に油を注いでいきます。そして、次の段階になると「異分子は多数派の敵である」という強烈な空気が形成されていきます。そして、いじめを阻止に立ち上がるような人間が登場するならば、それこそ「ええカッコしいの上から目線」であり即座にいじめのターゲットになる、という集団心理が共有されていくわけです。「いじめ」というのは、こうしたコミュニケーション破綻のサイクルだと見ることができます。
対策はあるのでしょうか? 1つは、「空気」に寄りかかった濃密な省略表現を緩和することであり、前提情報を共有していない人間には丁寧に説明するというプロセスを訓練することです。もう1つは、価値観には多様なものがあると同時に、そこには優劣はないということを骨身に染みるまで教育することです。